北摂ロマネスク

エイト、音楽、こっそり日常。

高橋優は「J-POP」なのか?-光の破片リリースによせて-

私はCDレンタル店にあまり行くことがない。というのも、CDが好きすぎるが故に「手元に置いておきたい」病にかかっているためだ。シングルもアルバムも欲しいと思ったら基本的には購入してしまう。

しかしCDレンタル店自体は好きである。CDが並んでる棚を眺めているのも好きだが、何より、自分の好きなアーティストのCDがどれだけ揃えられているかをチェックするのが好きだ。

 

先日、安室奈美恵の「Hero」がどれだけ厚く推されているかを見るために、久しぶりに改装して間もない某大手レンタル店に立ち寄った時のことだ。期待通りの結果を得て満足し、まだ同じく新譜の所にあった「罪と夏」もチェックし、ROCKの棚に移動して高橋優の名を探して、私は愕然とした。そこに、高橋優はいなかったからである。

結果、J-POPの棚でその名前を見つけることは出来た。しかし私のダメージはなかなかのものであった。

 

「高橋優はROCKではないのか?」

 

これだけではない。

 

「高橋優はJ-POPなのか?」

 

これだ。

更に誤解を恐れず言うと、「高橋優がJ-POPになってしまった」と思った。

 

その前からじわじわと言われていたようだが、昨年の「明日はきっといい日になる」以降、高橋優が丸くなったと一部界隈ではとても賑やかだった。株主総会でも言及される程であった。私も先日アルバムの記事で少し触れた。ああ、これが「J-POPになる」ということかと一度ケリをつけるつもりでいた。まだ大して時間は経っていないが、私が好きになったのはROCKな優くんだったなと思い返してもいた。そうして、先日レンタル店で受けた衝撃をやわらげようとした。そして、そんな中で読んだ新譜「光の破片」に関してのインタビューがとても響いたので、紹介したい。

 

 

もちろんこの6年間は幸せだったし、いろんな人に関わってもらえている感謝の気持ちもありますよ。でもその一方で、疑問というのは尽きないんですよ。世間に対して。その疑問とか不安とか忘れたと思われていたっぽいんです、高橋優は。もう、そっちの表現はやめたんでしょって(苦笑)。でもそう言われて全くイヤな気がしていなかったのは、ずっと出せる機会を伺っていただけであって。サビで<僕達は見失った>と書いているんですけど、それこそ、お前に何が分かるって言い返されそうじゃないですか。
武器を持って誰かを殺しに行く人間になるなら、武器を持たずに歌い続けて殺される人間であるほうが、シンガーとして全うできるんじゃないかなって気持ちがずっとあって。それぐらいの覚悟を持って歌ってものにしがみついていきたいと思っていたので。「誰かの望みが叶うころ」では、初めて曲に乗せました。改めてリアルタイム・シンガーソングライターと呼ばれた所以、今思ったことを歌うというスタイルは忘れずにいたい。その意思表示にもなっている気がします。

 

 

ー いいですね。それとc/wの“TOKYO DREAM”。誤解を恐れずに言えば、リアルさの凝縮度が映画やアニメのようで、歌詞を見た時に正直ゾッとしたんです。自分の住んでる東京って、こういう街なんだよな。もしかしたら自分も“そこのあなた”になっているのかもしれないって。

ああ、なるほどね!この曲のコンセプトになるようなものは、ここ近年満ちあふれていたと思うんです、みんなの周りにも。


ー ええ。

高橋優のこういう曲って古くなるって、箭内さんにも言われているんです。でもそれで良いんだ。歌い捨てていくくらいで良いんだ。それがリアルタイム・シンガーソングライターだ!って。だからこの曲も早く古くなるのかなと思っていますけどね。でも”素晴らしき日常”も“こどものうた”も古くなっていない気がしていて。


ー 残念なことに古くなっていない。歌詞のような出来事が起き続けているという意味でね。だからこの曲の歌詞が「古いね。」と言われるようになったらいいですよね。

そうなれば良いですね、本当に。でも、こういう曲を書きたいと思う自分と、それこそ“光の破片”や”産まれた理由(わけ)”、“さくらのうた”や“明日はきっといい日になる”のように、繋がりや光を信じていたい、ポジティブなことを表現していたいと思う自分がいるんです。それはずっと変わらないんだけど、そうでありたいのにそれが綺麗ごととしか聴こえないような背景があるという。

 

一読して、ああ、彼はROCKもJ-POPも内包し始めているのだと急速に感じた。リアルタイムシンガーソングライターは一ジャンルとして出来上がりつつあるのかと。そしてそれがとても嬉しいということにも気づいた。どちらもとても良いインタビューなので、少し長いが是非お読み頂きたい。

 

 

2015年6月9日「胡坐」in umedaAKASOでのやり取りが思い返される。

6月9日のロックの日を優くんに気づいてほしくて、客席皆で口々にロックの日ー!と叫んだが、彼はさらりと「ロックとか、そういうジャンルは気にしてないんだ」というニュアンスで返答をした。私たちの意図とは違うものが返ってきて(というかロックの日に胡坐大阪だったことが単純に皆嬉しかっただけなのだが)、すごく俯瞰で自分の楽曲や音楽活動を見ているなとぼんやり、少しがっかりしながら思ったものである。

 

 

思えば、先だっての株主総会でのコメントもとても立派なものであった。自分の方向性に関して言及され、真摯に返答し、パフォーマンスで示した姿の報告に、かっこいいなと素直に思えた。(そして株主になっておけばと心底思った)

 

 

「光の破片」も勿論賛否あるかと思う。アニメのOPで流れているのを聴いた身内からは「普通」という感想が出たが、「普通」はけして悪いことではないし、どう感じるかは人それぞれである。それで良いのだと思う。

因みに私は「光の破片」は意外とスルメ曲だと思っている。

 

 

ということで、色々話したが明日は店着日である。私も表題曲を配信開始日に落としてはいるものの、大好きな優くんの大好きな「CD」、フラゲするのが楽しみで仕方ない。ジャンル「高橋優」としてブレずに、これからも社会の光と闇を歌ってくれたらいいなと思う。

 

 

優くん、15枚目のシングル「光の破片」発売おめでとうございます。

 

 

【高橋優】GREAT! PUSH! BEST!【関ジャニ∞】

アルバムが好きだ!!

CD1枚に集約された楽曲の方向性やコンセプトや、デザインや、アーティストがこの作品で何を語りたいのかを勝手に妄想受信するのが好きだ!!!!

 

好きなアーティストがいたり音楽好きを自称できる方なら、割と誰でも好きなアルバムが出てくると思う。私も正にそうである。そして世間一般との評価と自分の「推し」や「好き」が重ならず、もっと評価されるべき!と悶々とすることも多々ある。

そこで思った。自分の中にも「名盤」という評価はきちんとあって、それとは別に「一番聴いて欲しい」「一番好きな」アルバムがあるなということ。そして名盤だからまずこれを聴いて欲しいわけでも、名盤だから一番好きなわけでもないということである。

というわけで、個人的に好きなアーティストで勝手にこの三つを考えてみることにした。個人的な縛りとしては、ベスト盤を含む、比較できるアルバムを3枚以上持っていること。

  
カテゴリについて

GREAT(名盤)

名盤の定義とはどれだけ必要条件を満たしているかであり、個人的には好き嫌いとは無関係だと思う。よく出来ているかどうかは、好みとは違う次元の話だと考えているからである。名盤に好きなものが多い、のと名盤だから好き、は同義ではない。自分の好き嫌いはともかく、いいものは認めたい主義。 
どうでもいいけど名盤ってドンピシャ英訳がないんですね。神盤は一部ジャンルで異なった意味となるようだし、MASTER PIECEやMUST BUYはなんか違うなと思ったので、素敵!という意味でGREATにしました。
 

PUSH(推し)

「どれを聴けば良いか」と人に尋ねられた場合に、「いいから黙ってこれを聴け」と真っ先に言えるもの、言いたいものとしたい。各個人の中での、「忙しい人のための推しアーティストまとめ」に一番近いものがここにくるのではないかと思っている。
名盤だから一番に推せるかというとそうでもない。最初に釣り針に食いつかせるには聴く人を選んだり、世界観が濃すぎるものも少なくない。
 

BEST(一番好き)

素直に、単純に、一番好きなマイベストアルバム。
好きな曲が入っているからとか、トラック1~3の流れが最高だからとか、それこそ引っ提げたツアーがよかったからとか、恋人からもらったからとか、初回盤の特典がよかったからとか、再生数が一番ってことは恐らく一番好きなんだろうとか、理由や根拠は問わない。無人島に持って行きたいやつ。
 

 
さて本題。
 
まずは3/9、6/22、8/31と新曲リリースが続く高橋優から。余談だが、昨年から随分「丸くなった」シングル曲の連続に古参の方たちが苦言を呈してらっしゃるようだ。すごくわかる。私も”ええ曲”は支持するが、また教科書破ったりセクハラ訴えたり社会にシュプレヒコールしたりしてほしい。7/8放送のMステ後の選挙行こうぜ(Tシャツ)啓発活動は非常に尖っていて嬉しかった。
 

高橋優

GREAT 「今、そこにある明滅と群生」(2014)

私が聴いてきたすべての音楽において、ここ数年で一番の名盤といえばこれである。コンセプト、ジャケット、捨て曲のないトラック、またその細やかさが伝わる音作り、収録順、ストーリー。まさに完璧だった。アルバムを聴いて山を登った気にさせてもらえるとは思わなかった。「BE RIGHT」によるニトロが爆発したようなロケットスタートトラック4~6のなだらかな傾斜が続いて、至高のラブソング「ヤキモチ」を経て見晴らしの良い山を登り終え、「おやすみ」と床に就くまでの美しいひとやまである。
 

PUSH 「BEST 2009-2015 笑う約束」(2015)

では推し盤も「今そこ」かというと、そうでもない。高橋優=東京メトロの人、という認識の知人には脇目を振らず「今そこ」を紹介するが、最初の一枚となるとやはり昨年リリースされたこのベストを推さない理由がない。
本心を言えばインディーズ4枚目の「僕らの平成ロックンロール」(2009)で荒削りの社会の原石たる高橋優を、もしくは「BREAK MY SILENCE」(2013)で強さと弱さを素晴らしいバランスで誇示してきた高橋優をファーストインプレッションにしてもらいたいが、初めての高橋優(トラック1)はやはり「鯱」よりもジェネレーションYよりも「福笑い」かなと思う。この楽曲が彼のシグネチャーだと言って過言はない。
 

BEST 「今、そこにある明滅と群生」(2014)

「絶頂は今」が収録されている「この声」(2012)と、「犬」が収録されている「今そこ」のわかりやすい頂上決戦だった。アルバム全体の再生数も鑑みて「今そこ」に軍配。2曲とも理由が説明出来ないほど好きだ。犬は特に、何故だかはわからないが言葉を失うほど好きだ。逆に嫌いなのか?と疑うほど好きだ。そういうもんですよね。
 
 

関ジャニ∞

Twitterでお世話になっている方々はご存知かもしれないが、私はかなり強火の「∞UPPERS(アルバム)」(2010)担である。*1まあ兎角様々な理由があり、関ジャニ∞の名盤といえば当然私は何をおいても「∞UPPERS」なのだが、昨年なかなかの名盤が発売されたのでこちらを紹介したい。関ジャニ∞の元気が出るCD」(2015)である。

 

GREAT 「関ジャニ∞の元気が出るCD」(2015)

なんだそのタイトルは、パッケージは、初回特典Bの内容は!!といろいろ物申したいことは詳細発表当初から未だ尽きないのだが、そういったあらゆる些細なことは全て吹き飛ばすような、パワフルでキャッチーで面白いアルバムに仕上がっている。
これ!!というパンダの1曲をウリにするのではなく、捨て曲を作らず、アルバム全体としての完成度を高めた所を非常に評価したい。OKAMOTO'S、KANA-BOONクドカン銀杏BOYZ峯田氏、サンボマスター等の豪華な提供者によるそれぞれの楽曲を、敬意をもって「アルバム作品の一部にしている」凄さは、一度聴けばわかる筈だ。渋谷Pありがとうございます。
最初から最後までトラックをいじらずに聴かせる牽引力を持ったトラック1~5の流れ、シングルカット時のボンヤリ感をはなまる大正解の収録順で見違えるように払拭させた「強く強く強く」、コンセプトを敢えて抽象的にすることで、ロック、ポップス、バラード等あらゆるジャンルの混在が活きる曲順、本編の終曲「ふりむくわけにはいかないぜ」+エンドロールの「元気が出るSONG」と、隙がない仕上がりである。
 

PUSH 「PUZZLE」(2009)

推しは完全に自分の経験に基づいた選択となった。ベスト盤「8EST」(2012)にあまり心を動かされずにいた私に、友人が「一番アイドルっぽいアルバムだ」と勧めてくれたのが「PUZZLE」だった。そしてまだeighterに片足も突っ込んでいなかった自分はとてつもない衝撃を受けた。どう考えてもキラキラシャララの一般的なアイドル像とは違うのに、パズルは確かにアイドルのアルバムだなと感じたからである。
 
エレキのギュイーンから始まって、「KISS!KISS!」「ないないないない(煽)」という印象的なスタート、嬉しい楽しいを貫くアルバムかと思いきや、斉藤和義氏提供の表題曲はセピア色の昔話で、明らかにアルバム全体から10cmくらい宙に浮いている。エイトって歌うまいなと瞬間的に思わせる「渇いた花」、なぜシングルカットされなかったのか甚だ疑問である名曲「ゴリゴリ」「ギガマジメ我ファイト」、その後もバンドスタイルの定番となった「ローリング・コースター」、屈指の名バラード「My Last Train」ダンス曲というコンセプトはバンドにも展開してその後も何年も引き継がれる「ブリュレ」…収録シングルはどれも「関ジャニといえば」の濃い3曲、それを含む全15曲(多!)に7人其々のソロ曲が付き、初回盤はユニット3曲のMVとメイキング映像ときた。聴いてほしい所、推したい所がありすぎる。
逆に言うと、「PUZZLE」は「関ジャニ∞のええとこ」が詰まったアルバムだ。(Gloriousだけが本当に勿体ない)
 

BEST「∞UPPERS」(2010)

兎に角中村哲平監督と関ジャニ∞のタッグの正しさに尽きる。横山剣氏の「アニマル・マジック」が力強いバックボーンとなっているのも渋い。関ジャニ∞の楽曲の中で一番好きな「泣かないで 僕のミュージック」が入ってるのも理由の一つ。キャラクターに寄せたソロ曲+アルバムに向けてシングル初回盤に連続して収録したMV等、プロジェクトへの熱意と格好良さに文句のつけようがない。一緒に墓に入れてもらう。 
 

 
以上。シリーズ化できたらいいなと夢見つつ。 
以下列挙したアルバムのリンク。
ご参考までになんて緩いことは言わない、全部聴いてほしい。

 

高橋優 BEST 2009-2015 『笑う約束』(通常盤)
 

 

僕らの平成ロックンロール

僕らの平成ロックンロール

 

 

BREAK MY SILENCE(通常盤)

BREAK MY SILENCE(通常盤)

 

 

この声(通常盤)

この声(通常盤)

 

 

8UPPERS(通常盤)

8UPPERS(通常盤)

 

 

関ジャニ∞の元気が出るCD!!

関ジャニ∞の元気が出るCD!!

 

 

8EST

8EST

 

 

PUZZLE

PUZZLE

 

 

*1:インストゥルメンタルからの攻めの入り、音楽と映像を融合して制作された短編ムービーのOSTであり、しかしきちんとアルバムとして成立していて、ボーカルなしのトラックが数曲あっても「不足」を感じない出来。収録されたシングルも良い。文句なしの名盤。◆ライブ映像も一番好き。c/wと未音源化の曲で始まる粋なスタート、コンセプチュアルで完成された世界観、しかしそこから抜け出してきた彼らはれっきとしたアイドルで、スーツあり、ギラギラあり、キュートなワクワクあり、キラキラダンスもあり、もちろん爽快なバンド(しかも序盤+ワイヤレスの終盤と二度美味しい)もあり、とにかく私の中の一番。

関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!DVDにまつわるエトセトラ

※caution
みんな意見違ってみんないい派
取るに足らないただのDVDの感想+それ以外の所感
渇いた花厨
 
 
発売しましたねー。関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!」
手元に来るのがフラゲ日ではなく発売日当日だったので、週明けくらいに「冷静に見られるかすらわかんないけどみんなより見るの遅くなるからそれまでTLの阿鼻叫喚でも眺めとく」的なことを某所で呟いたら、「なんでそんな水を差すようなこと言えるのか」とフォロワー数が1減ったのが非常に印象的でした。えっ…TLってそんなことも気遣わないといけないんですか。知らんがな。全てのファンがみんな同じテンションで与えられるものを受け入れることなんて不可能だよ。
 
正直、今回すごくしんどかったんですよね。円盤の出来や自分自身のそれについての評価に辿りつくまで、周りの反応がすごくて、視聴してすぐ泣いたことや思ったことや、逆に言うと叩いてやろうwと思ったことも、ちょっとなりを潜めてしまいました。先にも水を差してしまった件として書きましたけど、批判の言葉というのは蛍光ペンでマーキングしたように目立ちます。パワーもあるし。そして書く方も読む方もエネルギーがいる。
TLを見ているのが辛かった理由の一つに「自分の意見」とは別に「他人の意見への批判」があまりにも多かったことが挙げられます。「文句ばかり、批判ばかりは不健康」だという言葉も見かけましたが、私はその時まさに文句と批判しか脳内になかったので、とても響きました。でも言わせてほしい。
 
好きで批判してるわけないだろ!!!!!!
好きな人のダメ出しばっかりして楽しいわけないだろ!!
応援がしたいんだよ!!!!私は!!!!!
エイトに売れてほしいんだよ!!!
 
あの、6人で大倉の穴を埋めた涙なしでは見られないオーラスを、あの日入れなかったエイターが一人でも多く共有できたらいいと心底思ってんだよ!!!!そして「LIVEツアーDVD」としての責務を全うする商品が出来るのを期待してたんだよ!!!!ツアーはオーラスだけじゃない、「代価に見合った」残りの13公演のパフォーマンスが映像記録として残ることを何よりも望んでたんだよ!!!
元気魂ほんとに最高だったからぜひ見て、一緒に見ようって、ひとりでも多くの友人にすすめたかった!!この気持ちはどこにおいていけばいいの!?
 
パッケージの「マジかっこよくね?」感もこれにGOサインを出した全ての関係者も許さない。透明スリーブ見たくなさ過ぎて外しっぱなしなんですけどそしたらいつまでも大倉がログインしてくれなくて悲しすぎる。でもつけるのもいや。見るのもいや。そんなDVDに仕上がってしまったことも、それを買うという選択をするしかなかった自分自身も悲しい。
 
「批判を批判」の方たちに逆にお願いしたい、
「褒めさせてくれよ!!!!!!!」
 

DVD・BDに関して

消費者としての感想はただ一つ、「売上落ちろ」

両方買っておいて何言ってんだって感じですが、それは私が「正直買いたくないけど後から定価以上を出して譲ってもらうなんて更に有り得ない」と思ったからです。だから買いました。オフの友人たちは大倉担以外も皆不買に回りましたけど、私はそれがとても羨ましかった。私には「買わない」という決断が出来なかった。「買わずにおれる」強さを持てなかった。買った私が言うことではないけど、売上落ちて痛い目見てほしい。それが世間の評価だと示せればいい。

 
そしてわかりやすく推移するAmazonレビュー。15日時点では30件程度だったのが100件、190件と伸びて、6月21日現在210件☆2(1.9)なんですね。

関ジャニズム、リサイタルときて今回なので、こんなもんじゃないんだよ!違うの、もっとできる子なの!とフォローしてあげられる余地がもう幾ばくも残っていない気がする。今から初めて見るって人にはシンプルな内容のカウコンと圧倒的コスパのJBがお勧めです…
 
ファンとしての感想は、「不純物が多い」
まあ皆さんと一緒ですけど「エイター映してる時間あったら一秒でも多くエイトを見せろ」ですよね。あとすごく賢しい不定期さでファンの映像挟んで来る感じが姑息。もちろん、勝手にカメラに抜かれてしまったエイターもインタビューに応じてるエイターも誰も悪くないので、この世間の批判を見て該当の皆さんが申し訳ない気持ちになってしまっていたらと思うと心苦しいです。
 
オーラスのハプニングがあったからこれ幸いとばかりに「絆」推しをしたんだろうと思いますけど、札幌からあんなにファンにカメラ回してたなら最初からこのツアー映像は「そういう」コンセプトだったということ。どうしてもそう作りたかったのなら、こんなチャプターですら切り離せないキメラみたいな編集はすべきではなかった。もう元には戻せないんだよ!俺たちのニーナどこやったんだよ!!ハガレン読んでから出直して来いよ! 

 

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松原.に救われた件

 

ツアー中も散々渇いた花で泣いて…松原.最高かよ…尊い…マジ私この1曲のためにBD買ったんだわ…ていうかチャプター演奏直前で打った奴マジ出て来いよ説教だよバカかよ…渇いた花は松原.がMCからゆるっと移動してプライベートトークをする所からだろうが説教だよ説教…いやーそれにしてもほんと渇いた花最高な…雑念も不純物も取り除かれた、極めて混じりけのないカメラワーク、音声編集、完璧だったわマジ…あの時のままの二人の空気、そしてこの渋谷さんの一言の為の7,000円だったわ…ちくしょういい買い物だったわ…買ってよかったわBD…………

 

ていうか渇いた花とバナナジュースでこの編集ができるなら、どうしてそれを全編通してやらなかったのか。他にも純度の高い曲が何曲かあったようですけど、ではなぜこれらだけをそうしたのか知りたい。あと俺たちのエンドロール返せよ!!!!関ジャニはエンドロールが本編なんだぞ!!!!!!!!

 

それでも、いい所を見つけたい

まあでも、ツイッターでも言いましたけどEIGHT+を見てよかったなと思ったところはあったんです。私にはそれだけでじゅうぶんですね、DISC3。

 

逆に彼女のこの発言を受けてそれを編集で採用してチェックをして商品化に至るまでに、何人の中の人が「これだ」と思ってくれたのか…一人でも多いことを祈るばかりです。とっくにこっちは心構えもできてるのに、なんで彼らは「カタチ」にしたがるのか。

 

 

今回のことで私は割と底の底を見たので、これ以下があればほんとに、その時は…かな。関ジャニ∞めっちゃ好きなんやけどなー!考えたくないなー!!与えられたものをそのまま飲み込むだけのファンにはなれないしなりたくないし、欲しいものを買いたい、行きたい現場に入る、それが彼らから発信されるものと一致していることが幸せなので、とにかくまだ追っかけさせといてほしいなー!!!!と、その一心で罪と夏のリリース超待ってます。

とあるeighterの娘。卒コンLV

この2週間、ずっと迷っていた。

 
4月に名古屋で初めて入ったモーニング娘。のコンサートは、もう既に「ズッキ卒業まであと…」というカウントダウンが始まっていた。私はコンサート中ひたすら初めてのことに感動したり驚いたり忙しくて、そもそも現場に行こう!と思い立ったきっかけの「鞘師鈴木の連続卒業」は少し片隅に追いやられてしまっていた。
時々ビジョンに抜かれる香音ちゃんの笑顔は大輪のお花のようだなとひたすら多幸感を得ていたところ、終盤になって繰り返される熱い香音コールに「卒業」の二文字がまた透けてきて、ENDLESSSKYで、かのまりのWECトークでもらい泣きをする……そんな忘れられない初現場だったのだ。

ツアーで泡沫サタデーナイトがセットリストに入ってから、NHKホール公演がとても待ち遠しかった。あれを客席で生で見て踊るのは絶対に楽しいとわかっていたし、実際にとてもとても楽しかった。そして圧倒的な、ズッキの存在を感じた。大阪ではーちんの凱旋を見守りながら思い出したのは、やはりひと月前に見た名古屋の1日のことだ。


このふた月はテレビの露出も多かった。ノリが良く少し古めかしいけど懐かしく、みんなで踊れる振り付けのアッパーな泡沫サタデーナイト。やはりどうしても、香音ちゃんの卒業はずっと楽曲の心臓部に絡み付いて離れない。
これからもテレビや現場でやって欲しいのに、長くヒットすることをこんなに望んでるのに、それには香音ちゃんが必要なのに、これは紛れもない香音ちゃんの卒業ソングで。
 
あと一週間で卒業だなんて、あと4日で卒業だなんて、曲中のMC部分、当然こんなに美味しい売り文句は他にはないのだから、生放送の歌コンもMステも言うべきところなのだけど、それでも、聞きたくなかった。数字でつきつけないでほしかった。
香音ちゃんに卒業してほしくない。
寂しい。
卒業「おめでとう」が言えない。
卒業、のあとに何を続ければいいんだろう。
探しているようで、本当はわかっている。
だから見届けてきます。
 

(追記)
ということで、見届けてきました。


こんな世界、私は知らない。
バンドメンバーが方向性の違いから脱退、その後感動の再加入!などは知ってはいたけど、応援しているアイドルが普通の女の子になる瞬間のお見送りなんて、全く知らない。
コンサートの形式は想像と期待通りのもので、とても、本当に最高のツアーオーラスで卒業コンサートだった。楽しかった。素敵だった。
メンバーも客席もざわつくほどの愛あるスモークも愛しかったし、演出もセットリストもとても良かった。

満開のひまわりのドレスと緑のペンラに包まれて、終始笑顔で、最後は大好きとオフマイクで伝えてくれた香音ちゃん。定番の卒業ソロで、泣いているファンに笑ってと、ほっぺをつついてジェスチャーで表現した香音ちゃん。最後の最後にほんの少しだけ、笑顔に切なさが漏れた香音ちゃん。
本当に大好きだと思った。
そしてもっと見たかった。
12期に母性本能をくすぐられて、さくらちゃんをその存在で救って、まーちゃんを優しく叱りながら10期と下らないことで盛り上がって、9期の程よい距離感の地盤だった彼女を見ていたかった。

この2週間、NHKホールからずっと迷っていた。
卒業おめでとう、そのおめでとうに代わる言葉を見つけられずにいた。卒業してほしくないのに、そして実感もわかないままカウントダウンは進んでいって、今日を迎えて。
それでもやっぱり、卒業おめでとう、が正解だった。
ただそれより何より、彼女が叫んだあの大好きを返したいと思った。あゆみんが泣きながら実践した、伝染する笑顔を返したいと思った。

香音ちゃん、笑顔をたくさんありがとう。

香音ちゃんの笑顔が大好きです。

ご卒業おめでとうございます。

もっと叫んで、昔みたいに。ユーミンの話。


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時事ネタ?として書いていた【私を構成する9枚】についてエントリーしようと思ってたのが数か月前。そっちは頓挫したんですがw、昔を思い返していたら急にユーミンのことを書きたくなったので書きます。主に2000年頭までの、個人的なユーミンの思い出です。

 

90年代はじめ

母が当時小学校低学年だった私を洗脳しにかかり始める。
LOVE WARS~TEARS AND REASONSをなんとなく聴いていた。
その後「U-miz」(というか真夏の夜の夢)に大変な衝撃を受ける。
 
LOVE WARS(1989/11/25)
ティアーズ・アンド・リーズンズ(1992/11/27)
U‐miz(1993/11/26)
 

90年代中盤

この頃からBeingと並行してシングルを自分で買い始める。 
阪神大震災があったりユーミンも発売予定のシングル(命の花)が発売中止になったりと色々あったけども、春よ、来いとSMAPのがんばりましょうに関西人の私はとても元気づけられたものだ。
 
シングル「Hello, my friend」(1994/7/27)

君といた夏というドラマの主題歌だったが、ドラマと歌詞のリンクがすごいなーと子供ながらに思っていた記憶がある。本来こちらが採用されるはずだったc/w「Good-bye friend」は何十年経っても泣ける名曲。

シングル「春よ、来い」(1994/10/24)

言わずと知れた名曲。c/wなしのワンコインで素直に嬉しかった思い出。

 

ザ・ダンシング・サン(1994/11/25)
KATHMANDU(1995/12/1)
カゥガール・ドリーミン(1997/2/28)

怒涛のアルバム3枚。ツアーもすべて最高に楽しかった。

 

【1995年3月/THE DANCING SUN】

初めて連れていってもらったコンサート。むしろ連れていかれた、が正しい。この記事を書くにあたって母に当時のことを尋ねたところ、「久しぶりにコンサートに行きたいなと思ったからお連れにしようと思ったの」とさらりと返され、この親にしてこの娘ありだなと実感。初めてのコンサートは、ほぼ真夏の夜の夢目当てに行ったのに、砂の惑星の演出にドはまりして帰ってきた。
アルバムはパッケージが幼い私にはとにかく衝撃的で、芸術って怖いの一言。今見ると超かっこいいのだけど、小学4年生にはあまりに早かった。
 

【1996年2月/KATHMANDU PILGRIM TOUR 1995-1996】

対してカトマンズはジャケ写もロゴもすごくシックでかっこいい!すてき!と思ったし、今もこのデザインが一番好きだ。こちらは発売時タイミングよく(?)入院を余儀なくされていたので、アルバムをしっかり聴き込んでからツアーに行けた。というか退院後初の経過検診を京都で受けて特急に乗り大阪城ホールへ飛び込むという強行日程であった。退院祝いがコンサートだったので、今考えてもまったく変わった母親だなと思う。ポータブルCDプレイヤーを初めて買ってもらったのもこの時だ。まだMDは一般的ではなく、専らCDかカセットテープの時代である。
思えば人生初のセトリ予習はこれだったかもしれない。輪舞曲が目立ちがちなこの作品だけども、私はクロームの太陽、MidnightScarecrowが今でも揺るぎないツートップ。
 

【1997年3月/Strollin' Cowgirl Tour】

カウガールはカトマンズよりも更にアダルティにブラッシュアップされたアルバムだったので、当時小学校6年生だった私は照れながらカラオケで別れのビギンや最後の嘘を歌っていた。カラオケBOXがまだコンテナそのままが主流の時代である。懐かしい。
この3ツアーが恐らく私の現場好きの地盤を作ったと言っても過言ではない。生ってすごい、何もかもこの1回きりなんだという意識を教えてくれた。
 
その中でも一番強烈なエピソードがこれ。
97年3月16日城ホの「Strollin' Cowgirl Tour」で、TV番組「ウリナリ!」の企画でウッチャンと勝俣くんが「春よ、来い」を連弾で演奏するというサプライズに遭遇できた。昨年TwitterのTLで同日に会場におられた方と偶然コンタクトが取れ、18年振り(!)に当時のことを思い出しながらお話する機会にも恵まれた。なまじ自分がピアノをやっていたせいもあり、大阪城ホールを360度使ったど真ん中のステージにピアノが2台設置されたときの高揚感、番組でも応援をしていた彼らが出てきた時の興奮は忘れられない。
「がんばれ!」の一心で埋まる大阪城ホールの数分間。
いつ思い出しても胸がいっぱいになる。
 

90年代終盤

スユアの波(1997/12/5)
アルバムが個人的にあまり響かなかったことと体調がよくなかったため翌年のコンサートの私の席は叔母にお譲りをしたが、大好きなLOVE WARSがセットリストに入っていたと後から母に聞き、物凄く後悔した。

 

Neue Musik(1998/11/6)

松任谷由実名義楽曲のベストアルバム。未購入。理由は、このベストがあまり好きではなかったので。あとここが明らかなターニングポイントであったため。ユーミンのベストとして私が一番好きなのは、後述するスイート・ビター・スイートベストである。

 

【1999年7月/YUMING SPECTACLE SHANGRILA】

人生初のアリーナ2列目を経験。チケットの一般発売日、母と隣町の百貨店にあったぴあの窓口に早朝から並んだことも覚えている。窓口のお姉さんにアリーナ取れますよと言われたこと。それまでのツアーの一般席が5500円~6000円程度だった時代に、シャングリラは演出上一般席7500円という割高な公演で、更にアリーナ(S席)は10000円を超える高価な席だと一度諭されたが、ワガママを言って取ってもらったこと。何もかもが昨日のことのようである。
アリーナの中心にプールがあり、かと思ったらスケートのような演出にも自在に変わる。そしてユーミンがまさに目の前を通った時の衣装のシフォン生地の揺れ!忘れられない。
感想は「なんかもうすごいサーカスだった」

 

 Frozen Roses(1999/11/17)

【2000年3月/FROZEN ROSES TOUR 1999-2000】

同年、前作とは打って変わって、ニューアルバム「FROZEN ROSES」が個人的に大ヒット。翌年3月、無事志望校に受かって幸せな気分で入ったフェスティバルホール公演は本当に良かった。今でも度々聴き返すこのアルバムはOPとEDが秀逸で、なぜか中学生活を終えかけの私にガンガン訴えてくるものがあった。ラストトラックの流星の夜は本当に名曲。またこの作品をきっかけに、アルバムのストーリー性という要素を考えるようになったと思う。
 
acacia(アケイシャ)(2001/6/6)
先行シングルの「幸せであるために」は耳なじみのよい素敵なバラードであったけども、それよりもアルバム表題曲の「acacia(アルバムと読み方は異なりこちらはアカシア)」が心の琴線に触れた。ジャケットやその他のアルバム曲もポップで明るく軽いイメージでとても印象がよかったのでツアーにも行きたかったが、高校の部活の演奏日程で年間予定は埋まっていたため断念。今思うとやっぱり入りたかったなー!
 
sweet, bitter sweet YUMING BALLAD BEST(2001/11/14)
荒井由実名義のものも収録できるようになったことでレコード会社を跨いだ素晴らしいベストが出ると聞いて、発売を心待ちにしたバラードベスト。なんだろうこのカバーの穴は(四角くパンチング加工してある)と思ったら点字で「s,bs」という意味だという。深いなー。
個人的にはこのベストがどの総集編より良作だと思う。「晩夏」がないな…とは思ったけど、何一つ不満がないし、曲順がめちゃめちゃいい。特にDisk1の終盤とDisk2のトラック1~6の流れがお気に入り。
 
Wings of Winter, Shades of Summer(2002/11/13)
 ひとつ前のS.BSベストが良かったのもあり、このアルバムからノイエムジークからの勢いの落ち方が切ないなとひしひしと感じ始めていた。アルバムを30枚以上出しながらも新しいアプローチで作品を作り続けるユーミンは変わらずかっこよかったし、新譜が出れば嬉しかったのだけど、それでも守りに入ってしまった気がした。
毎年恒例の「SURF&SNOW」には一度も行かないままだったのだけど、このアルバムはこの苗場のイベントをディスクにしたような感じだなと勝手に思い描いた。それもそのはず、1980年発売の同名のアルバムの続編という位置づけである。
守りに入ったとはいっても私の好みの話なので、ミニアルバムとしての完成度は高いと思う。行ったことのないライブを彷彿とさせるコンセプチュアルな一面はすごい。
 
Yuming Compositions : FACES(2003/12/17)
広告コピーの「荒井由実松任谷由実呉田軽穂、これってみんなユーミン。」が発売当初はもっとおしゃれなのにすればよかったのに、と不満たらたらだったのだけど、今ならわかる。せやなと。
他アーティストへの提供曲のセルフカヴァーアルバム。瞳はダイアモンドより赤いスイートピーを入れてほしかったなーと今でも思っている。買ってよかったなと思ったのはいちご白書と星のクライマー。
 
VIVA!6×7(2004/11/10)

【2005年3月/Yuming VIVA!6×7TOUR 2004-2005】

私が買った最後のユーミンのオリジナルアルバムであり、2016年現在の最後の現場となった。場末のミニシアター…?というような印象でアルバムの評価を決めかねたままフェスティバルに入ったのだけど、コンサートが終わってからやっとこれはすごいスルメアルバムだと気づいた。
田島貴男氏とのデュエット曲「太陽の逃亡者」、コンサートで実際にいつメンのコーラスのお兄さんとデュエットしているのを見て、物凄くショックだったのを覚えている。や、やだ、ユーミンはそんなのしない…!とすごい複雑な気分で見守った。今思えばあれはやや偏った嫉妬心であった。最後の記憶だからか、「ヴィヴァ!シックスバイセブンへようこそ!」とユーミンが高らかに言った声を未だに覚えている。イケてるタイトルである。
 
松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。(2012/11/20)
この間オリジナルアルバムを3枚素通り。が、私のアニメ史における神様、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」でひこうき雲がタイアップをとったと話題になり、映画を3回観に行き、3回とも大号泣して、やっぱりユーミン最高だな!!!!!と思いながら買った大ボリュームのベスト。当然歌える歌ばかりなのだけど、その幸せをかみしめるための3枚組である。初回盤はこちらもなかなかの容量の特典DVD1枚がつく。
何より嬉しかったのがユーミンの名前をオリコンの一番てっぺんでまた見ることができたことだ。このCDの売れない時代に、AKBか嵐か!という売り上げ枚数を叩き出して、100万枚突破記念の限定盤も出た。
  

 
今いる畑が少し落ち着いたら、空白のオリジナルアルバム4枚(2013年発売が最新)を手に入れて改めてユーミンに浸ろうと思う。前作から3年経っているのでそろそろ新作が来る予感もするし、何より高橋優ですっかり現場の楽しさを思い出した母が今度ユーミンあったら行きたいと言い出しているので、今度は私が連れて行きたいという思いもある。母娘で思い出話もしながら、あの日にかえりたい。

【WANONANO】さよなら、いとしいあなたへ【motto】

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私には愛している靴がある。

 

十代の頃に出会ってから三十代になった今まで、履き潰したものも含めるとその数は30足はくだらないと思われる。仕事を始めてからも、友人たちと遊びに行く時も、恋人に会う時も、なんだかんだで私は水色や白の箱を開けたり閉めたりして一種の満足感を得ていた。
それは私の、靴たちへの愛情表現でもあった。
 
 
そのスニーカーを脱いだら死ぬのかと言わんばかりに、赤いニューバランスばかり履いていた学生時代、ふと立ち寄った心斎橋の商店街で真新しいシューズショップを見つけた。今から13、4年程前の話だ。母の影響で卑弥呼の心斎橋店には何度か訪れたことがあったが、その真新しいショップは卑弥呼からほど近い所にひっそり、しかしキラキラとしたものを隠しきれないような佇まいで鎮座していた。
 
 
私は昔からピンクが好きだ。ショッキングなものはともかく、カラーバリエーションがあればますピンクに目が行く。紫&青色eighterになってからはこの二色を手に取りがちだが、それでも好みには忠実であるし、ピンクがかった紫をどうしても探してしまう。
 
忘れもしない一足目は、そんな大好きなピンクのパンプスであった。結果的にその後十年以上も形や色を変えてデザインを受け継いでいったそのシリーズは、シャーリングとギャザーがとてもフェミニンで、中敷が小花柄のとても可愛らしいデザインだった。
そしてなにより、とても履きやすかった。甲高の私の足にもきちんとフィットした。自分の足に合う靴を作っているブランドを見つけておくと、靴探しはぐんと楽になる。もともと、あまり履かないとはいえ卑弥呼の靴は合っていた。しかし靴自体にこだわりがなく、履ければ何でもいいという考えだった十代の自分にとって、WANONANOのそのパンプスは新しい世界への引き出しの取っ手であった。
 
そしてそれを機に、私はWANONANOの靴に目がなくなった。
「他人と違う」個性的なデザインでありながら、きちんと質の良い革や布地を使って作られていたこのブランドの靴は、とても輝いて見えた。
卑弥呼」に対しての「漢委奴國」を取り上げた名前も好きだった。
わりと個性派ぞろいの高校から至極個性派ぞろいの大学に進学していたので、「自分らしさ」を仕立てるのにこんなに良いアイテムは他に類を見なかった。
 
 
 
私には愛している鞄がある。
WANONANOの出会いと時を同じくして心斎橋、こちらは南船場ではあったが、「motto」という革製品の鞄屋が出来た。motto南船場本店である。四葉のクローバーがシグネチャーの、ゴリゴリの革ではなくプレーンで手触りの良い革製品が多く、合わせる布地もキャンバスなどカジュアルな鞄が目をひくブランドだった。㈱エリットという名古屋の会社が本社で、ここから数年間は上り調子で人気が出ていった。年始の福袋は早朝から南船場路面店に長い列が出来たし、数年後には阪神西宮に支店もでき、デパートにも卸されるようになった。婦人雑貨売り場でクローバーのついた財布を目にしたことがある方もきっと多くおられるだろう。
私はここの鞄にも目がなかった。何年かしてデザイナーや商品コンセプトが変わるまでは、クローバーの鞄をとっかえひっかえしていた。それくらい好きだった。
 
 
親友たちがヴィトンやプラダを手に取り始めていた頃、私はWANONANOの靴を履き、mottoの鞄を選んだ。財布も、大好きだったバーバリーを振ってmottoを使い続けた。またか、と思われるかもしれないが、素晴らしいピンクベージュのラインがあったのだ。
 
まだ十代だった当初、自分は30、40になっても年甲斐もなくこれらを使い続けているのだろうかと少し不安もあったが、全くの杞憂だったと今なら笑い飛ばせる。まだまだこの少し変わったアイテムたちを手放す気にはならない。年相応かどうかは自分が決める。
どうせ身に着けるなら自分が満足するものでなければ勿体ないと思うようになった。
足は二本しか、体は一つしかない。
一日も無駄にはできないのだ。
 
 
 
 
 
私には、愛していた靴があった。
 
愛していた鞄が、財布があった。
 
 
何よりも近くで、私が一番自由だった時を見守ってくれた戦友であった。
本当に、好きだった。
今までどうもありがとう。お疲れさまでした。
 
 
 
卑弥呼内でWANONANOの一部デザインは引き継がれています。
私の記念すべき一足目のデザインも、卑弥呼として形を変え継続中。
きっといつか、また復活してくれると信じて。