読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

北摂ロマネスク

エイト、音楽、こっそり日常。

新規とか、古参とか。【元気ツアーオーラスによせて】

関ジャニ∞の元気が出るLIVEツアーオーラスの翌日にツイッターでつらつら打っていたものをまとめて転載



元気ツアーが終わった。本当に信じられないような展開のオーラスを、不器用でも、私が信じてきた通りにこなしてくれたメンバーと、みんなあなたのことをこんなに大事に思ってるよと、痛いほどしらしめてくれた彼にまずはお礼が言いたい。


飛び入りした名古屋ラストがとても楽しかったので、ツアーが終わったら何か書きたいなと思っていた。「何か」は、入った公演のレビューでも、こうしたらこうしたら、という好みの羅列でも何でも良かった。


前回の関ジャニズムは書き留めておこうというエネルギーを全て安田くんへのときめきに変えてしまったため、何も残していないし、残さないと決めたけれど、今回は書きたいなと思うトピックスが多かった。


その「書きたいこと」の中で唯一、先日のオーラスでひとつ自分の中で答えが出たものがある。楽しい話ではない。外に向けた思いではなく私の心の置き所が定まった、いやそのような心持ちは必要ないという答えだ。




事の始まりはHeavenly Psychoである。
侍唄のc/wでメンバー演奏のリメイク版が収録されたのが記憶に新しい。
とてもいい曲だ。
更に錦戸くん主導の編曲は、楽曲に対しても、楽曲にまつわる思い入れや歴史にも、またメンバーに対しても深い愛情が感じられた。


このリメイクにあたり、eighter界隈ではそこそこに熱い舌戦が起こっていたように思う。多くの人が自分の思いや、その賛否を語っていた。
その時に感じたのはまず、私には語れるものがないなあという寂しさであった。


楽曲はもちろん好きだ。
一番最初に手にしたライブ映像が8ESTだったので、長居でのHeavenlyの映像は何度も見た。この曲に詰まっているたくさんの人のたくさんの思いは一目瞭然であった。DVDを集めていくにつれ、その印象はより確かなものになっていく。


先に、引き合いに出してしまう友人達に謝りたい。
これは全くの私の自分勝手な思いなので、彼女達の言葉を否定したり、責めるつもりは毛頭ない。


元気ツアーの福岡初日終演後である。
2人は、「ヘブンリ泣いたね」と頷きあっていた。


思わず、「私泣けない」と返してしまった。


言って、すぐ反省と後悔をした。
思わずこぼれてしまったとはいえ、私のその発言にはなんの意味もないとすぐに理解していた。泣きたかったかといえば泣きたかった。
眩いばかりの白いライトに照らされ、ムビステで前進してくるエイトが歌うHeavenlyPsychoである。


私がそれを見たのは名古屋ラストからの2回目だった。福岡のその日はほぼ正面のスタンド下段。真っ直ぐ進んでくる彼らを見て、彼女達の言葉を聞いて、私は泣きたかった。私も、泣きたかった。でも、決定的に、どうしても、最終的にツアーには5回入ったけれど、泣けなかった。


あの編曲のあの演出のヘブンリで泣けない自分。
絶対的な壁を感じた。どうしても埋まらない溝だと思った。


だって、思い出がない。


その時に共有した時間が無い。


今までも、何故もっと早くeighterになってなかったのかと笑って悔やんだことはあったが、その比ではなかった。新規のファンであることを、今までで一番悔やんだ。JBに入れなかった悔しさも、8周年にいなかった悔しさも、47を回れなかった悔しさも霞んだ。


CDとDVDを集めだしてまだ丸2年も経っていない。FCに入会したのは十祭申し込みギリギリだった。つい先日のことだ。
古参のファンが純粋に羨ましいと思った。詮無いことだとわかっていても、子どもの駄々のようだと自覚していても、ヘブンリで泣けないことがつらかった。こんなに彼らのことが好きで大切で、喜怒哀楽をひったくられる大きな存在なのに。


元気ツアーで一度も泣かなかったのかといえば全くそんなことはない。大いに泣いた。渇いた花で毎回泣いた。自担にファンサをもらって泣いた。渋谷さんの最後の挨拶で泣いた。侍唄で、元気が出るSONGで泣いた。そんなことを繰り返しての、昨日のオーラスだった。




ギリギリに着席したので、どうやら開演が遅れているようだと知り安心しつつエイトコールに混じろうかとしていると、リハーサル着でメンバーが暗いままのステージへ登場。
もう、あのシーンを思い出したくない。しかしあの映像が焼き付いて離れない。どうして一人足りないの?


村上くんが口を開くまでは僅かな時間だった筈だ。
しかしとても長かった。
喋らないでくれ、と思った。
悪い予感しかしなくて、何が起こっているのか知りたいけれど知りたくなくて、先程ツアーが終わっちゃうの寂しいねと話した口で、早く終わってくれと叫びそうだった。


事の説明中も、メンバーが準備に向かうために捌けてからも、ずっと泣いていた。
心は、怒った猫のように逆立っていた。エイトが消えてしまう、と一度本当に暗転したそれは、抱きかけた絶望をどうにか溶かそうと必死だったように思う。


しかし頭の反対側で、冷静な自分がいた。
彼らを失う恐怖に、堰を切ったように泣いた自分に驚いていた。
そんなにショックを受けるとは思っていなかった。
涙は勝手に出てきた。息は勝手に止まった。
いつの間に彼らは、私の意識さえ凌駕する所まで入り込んでいたのだろう。

まだ2年だ。たった2年だけれど、いろんなことがあって、いろんなことを思って、でもそれは自分が自覚している以上に私の中に急速に降り積もっていたらしい。


「ヘブンリに泣けなかった自分」をこっそり背負って、ツアーの後半を過ごしてきた。

負い目を感じていた。

しかし、あの暗いままのステージに並んだ、ひとり足りない関ジャニ∞に、私は救われた気さえした。
ちゃんと泣けたじゃないかと。自分のあずかり知らないところで、もしかしたら京セラドームを満タンにできるくらいの質量で、彼らは私を作る一要素になっているじゃないかと。


新規だとか、古参だとか。


その表現が端的に説明できて、必要なシーンは数多くあるとは思う。
しかし相対評価としてこの言葉を使っていなかったかと、反省をした。絶対評価でいいじゃないか。誰でもない自分が、これだけの年数、計りきれない愛情で追っていること、が大切だ。


ひどい荒療治だった。
もうこんな思いはまっぴらごめんだ。

関ジャニ∞が好きだ。

ひとり足りない分を、必死のパッチで、各々が正しい役割で補おうとする彼らが好きだ。補いきれない彼らが好きだ。補いきれないほど大きな存在である、7人それぞれが好きだ。


そんな彼らに揃って涙して拍手ができる、口々に感謝の言葉が言えるeighterが好きだ。

「eighterでいていいのかな」

とずっと不安だったけれど、今は胸を張って言える。

「eighterで良かった!」




※以下追記分


今この時代にこの年齢で活動している彼らをかっこいいと思って、それを追いかけようと決めたのは間違いなく自分だった。10年、またそれ以上分の膨大な量の軌跡を辿っていける幸福感も、満たされていく知識欲も、何もかもが「今の自分だから」「今の彼らだから」化学反応を起こしたのだ。それは駆け出しeighterとしての、私の矜持でもあった。
今、現在がすべてだ。過去がなければ今の彼らはいなかった。
8人だった時、8人で歌った歌があって、それを7人で歌っているのが今の彼らだ。


わかっていたつもりだった。
自分の中に、きちんと落とし所を見つけていたつもりだった。
しかし、心のどこかできっと引っかかっていたのだと思う。
デビューから間もない曲を聴いて、その時代を知らない自分が「懐かしい」と言うのはおかしいと、身内につっこまれたこともある。もっともである。懐かしさをおぼえられる自分でいたかったのだろうと思う。自然と虚勢を張っていたのかもしれない。

この一連の呟きを読んでくれただろうフォロワーさんへの返信に、私は「床が抜ける」という表現をした。新規としての自分のプライドが消えてしまったような気持ちだったからだ。今思えば単純なことだけれども、泣けなくて当たり前で、それでいいのだ。今から自分が泣ける曲ができるかもしれない。できなくても、ものさしはそこだけじゃないだろうと。そもそももう既にライブで何回泣いたんだと。あーあ、つまらないことで悩んでたなあと。それでも、私のeighterとしての一ページにこの項目はきっと必要だったのだと思う。周りの友人たちに、そしてエイトにも感謝、感謝。